中嶋宏行の書道教室中嶋宏行の書道教室

コンセプト

かつて筆書きは私たちの日常でした。ところが今や文字は「書く」ものから「打つ」ものへと変わりつつあり、筆と墨で文字を書くという行為は非日常となりました。そして非日常になったことで、“<書>に遊ぶ”という新しい<書>の楽しみ方がひろがりました。
そもそも<書>には三つの考え方があります。書法と書藝と書道。中国では書法、韓国では書藝という呼称が一般的です。日本は<書>を「道」と捉えたことで、<書>は師から型を習うもの、その型を守り伝えるものという見方が一般的になりました。しかし私は師の手本を習うことと合わせ、時に型から離れて自由に表現することで<書>をより深めることができると考えています。
私の教室では「基礎」と「創作」を並行して進めていきます。「基礎」は手本という確立した型に出来るだけ近づこうとするものです。一方「創作」は、型から離れて自ら個性を表現しようとするものです。筆で字を書くのは同じでも、その目指す方向は反対になるわけです。そしてこの両者は矛盾するどころか不可分に結びついています。「創作」にあたっては「基礎」で身につけた蓄積が頼りとなり、また「創作」を体験することで「基礎」の深い理解に至ることができます。

「基礎」について--------書は『身体術』と考える

「基礎」は、まず手本をよく見てその特徴をとらえることからはじめます。次に手本を横に置いて実際に筆をとって書いてみます。書き終えたら手本と照合して不出来なところはどこか、自己分析を行います。そしてその結果を意識しながら、さらに2枚目を書きます。果たして意識した通りに筆を動かすことが出来たのか、書き終えた時にはその結果が目の前に現れているのです。そして手本通りに書けるようになるまで、つまり意識した通りに動作できるまで枚数を重ねていきます。
このように「基礎」では、「意識」が「動作」をリードし正確に筆をコントロールしているかどうかを自分の目で確認しながら一枚、また一枚と書き進めていきます。やり直しがきかないので集中力が高まり、「意識」と「動作」が直結しながら両者の一致へ向けて深化していきます。
「意識」が「動作」を導く場合、何も考えずに無意識に動作する場合に比べて大脳皮質細胞がより活性化すると言われています。意識した身体の部分と、それに対応する大脳の部分の血流がよくなることが実証されています。
ところで、手本をしっかり見ているのに思うように書けないことがあります。その原因の多くは身体の使い方に起因しています。筆を構える時は、「筆が立つ」という状態をつくることが肝心です。刷毛と違い、筆の場合は360度すべての面を使うことが出来ます。穂は紡錘形をしていて、深くおろせば広がって太い線になり、逆に上げれば開いていた穂は収束して細い線になります。この筆固有の機能を発揮するためには筆を垂直に立て、筆の重心を穂の上に落とすことが大切です。筆を立てずして、前後左右、穂の全面を自在に使いながら太い線や細い線を書き分けることは出来ません。
そのためには、普段のペン書きの習慣に影響されないように注意することです。ペン書きの場合は、前屈みで脇を締め、指や手首を使います。筆書きの場合これとは対照的で、からだを起こし、指や手首を固定して腕と肩を使います。肘を上げて脇を開き、腕と肩が自由に動くようにします。これを理屈ではなく、自分の運動感覚で覚えることが大切です。<書>は『身体術』と考えるゆえんです。

「創作」について-------- 作品は体動の軌跡と考える

「基礎」が目標とするのは整った字です。整った字には均整の定形美がありますが、例えて言えばきちんと撮った証明写真のようなもので、そこには表情がありません。一方「創作」では、スナップ写真のように、観る人に語りかけてくるような表情のある字を目指します。
字に表情をつける技法としては、「ズラシ」と「バランス」があります。「ズラシ」とは、大小、太細、長短、遠近、疎密など、字画の一つひとつに変化をつけることです。しかも例えば「大」の次は「小」、「太」の次は「細」というように、「ズラシ」ながら全体として「バランス」をとることで変形の美を生むことが出来ます。その上で「かすれ」「にじみ」「余白」という三つの効果を活かしながら作品に仕上げていきます。
ところで、一般的に言って創作には二つの方法があります。ひとつは、まず頭の中に青写真を描き、時に試作や習作を重ねて、イメージをかたちにすることで作品を完成させていきます。もうひとつは、過度の作為を排し、その場その時のひらめきで作品をつくる方法です。この場合、偶然性や無意識の力に依拠するので、作品を「つくる」というより作品が「生まれる」という表現の方がふさわしいかもしれません。
私は後者の立場を大切に考えています。白い紙面を前に、頭も白紙にして精神を集中し、一瞬のひらめきを待ちます。やがて心の動きが身体の動きを促し、一気呵成に筆をふるうと体動が筆を通して紙面に軌跡として残ります。観るものは、書きはじめから書き終わりまで筆の轍(わだち)を眼でたどることが出来ます。筆線の表情を読み取ることで、書き手の気の流れを追いかけることが出来ます。だからこそ、一旦筆を持ったら最後まで無心になり一気に書ききることが大切です。筆を握りながら、ここはこう書いて、あそこはこう書いてなどと躊躇していては、筆脈が途切れて<書>の魅力が損なわれてしまいます。
もちろん制作にあたっては、たたき台や拠り所としてある程度のイメージを持つことは必要です。しかしイメージはあくまでイメージであって、プランとは違います。プランにしがみついて書き続けていると作品が次第にパターン化したり、気持ちの鮮度が落ちて迫力をなくしてしまう危険があります。むしろ本制作の段階では、いかにプランにとらわれずに書けるが大切になってきます。
青写真の再現では最高でも100点。しかし偶然性や無意識の力が作用すると、60点に終わるリスクがある一方で120点の作品が生まれる楽しみがあります。

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