開講10周年記念 書の室礼展
2013年10月、開講10周年を記念して千葉教室、銀座教室合同で生徒さんの作品展を開催しました。
会場は、NHKの『美の壷』でも紹介された昭和初期の和風住宅です。
懐かしい昭和モダンの空間に、住まいの室礼(しつらい)として生徒さんの作品約30点を展示しました。
会期 2013年10月4日から6日
会場 登録有形文化財「一欅庵」(東京・西荻窪)
書の室礼展に寄せて
「教室はやっていないのですか?」 個展会場で聞かれたその声に背中を押され、それではと始めて早10年。お陰さまで書の教室は今年、節目の年を迎えることが出来ました。ありがとうございます。
開講当初、ひとつの思いがありました。アジアに広がる書の呼称には「書法」と「書藝」と「書道」の3つがあります。ここ日本では書道、つまり書は師から型を学ぶものという考え方が一般的です。しかしそれだけでは書の本質は見えません。学びはあくまでも手段。学びの先には目的としての表現の世界があります。学びの先にある世界、書表現の醍醐味をなんとか教室で伝えられればと考えていました。しかし作品とはひとり一人の自己発露そのもの。本来教室で教えられる類いのものではありません。そんな自己矛盾を抱えながらの10年でした。もちろん、ある途上までは教え導くための梯子を用意することが出来ます。筆づかいのイロハ、字形のとり方、技法のいろいろ、表現の実例、制作の心構えなど、少しでも「途上の梯子」を長く伸ばすよう努めてきました。でも、そこから先はひとり一人が自らの力で上っていくしかありません。
今年の2月に展覧会の開催を決めた時、講師として何が出来るのか、創作のためにどんな梯子を用意出来るのか、答えの見つからない自問が始まりました。しかし、作品に取り組む生徒さんの姿を見ているうちに、皆さんが超えようとしている壁は自分がいつも作家として経験していることそのものなのだと気づきました。その日から梯子のことを考えるのはやめ、同じ立場で制作に寄り添い、ともに楽しみ、悩むことにしました。
一枚書くと人はどうしてもこれにとらわれます。ここはうまくいったけれど、ここは駄目。今度こそ・・・という具合です。もっといいものをという欲望には際限がありません。書は書き出したらノンストップ。途中で省みる暇がないので、ナマの欲望が即時に線や形になって現れます。書き手の我が出過ぎてしまうと、作品はこれ見よがしで押し付けがましいものとなり、逆に観る人の心は引いていきます。一方書き手の欲望は、充足すればさらなる次の欲望で膨れ上がり、作為過剰にどんどん拍車がかかっていきます。
人の心を動かす作品というものは自力と他力の合作で生まれます。意識的に何かを表そうとする作為を抑え、あるがままの自分を紙の上にさらけ出せば、
時に他力が働いて思いがけないものが生まれます。大切なのは、すべてを意のままにしようとする我を鎮めることです。 作為と無為の調和、ここに書の本質があります。こんなふうに意図したつもりはないが、よく見ると何だか凄くいい。確かに書いたのは自分だが、もう二度と書けそうにない。日々の鍛錬を地道に続けていると、無心で書いた「量」の中からとびきりの「質」が生まれる時があります。自力と他力が調和した幸せな瞬間です。作品制作を通じて、生徒の皆さんがこの至福の瞬間を少しでも体験出来たとすれば、それは講師として何よりうれしいことです。
書や水墨画、陶芸、染色などはこうした思惑を超えた他力による効果を尊重し、偶然の美を好んで作品の中に取り込んできました。あらかじめ青写真があると、どんなに出来が良くても結果は100点止まり。でも、こうした他力が介在すると予期せぬ150点の佳作が生まれることがあるのです。
会場に足を運んでいただいた皆さま、今回の展覧会ではふたつのことにこだわりました。一つは、書きたいものを選び、書きたいように書くということです。言うまでもなく、展覧会は習い事の発表会ではありません。いつものお手本がなくて何をどう書いていいやら戸惑ったひと、逆に厳格な臨書から解放されて嬉々として筆を走らせたひとなどさまざまでしたが、生徒の皆さん誰もが、自ら伝えたい言葉を自らの表現で書きしるしました。選んだ言葉も表現も、十人いれば十人十色です。
もう一つは、住まいの室礼(しつらい)として作品を展示したことです。書は昔から四季折々の暮らしとともにありました。床の間には季節に応じて軸を掛け、長押の上には格言の額を掲げ、時節を歌や句に詠み短冊にしたためて室を飾りました。ギャラリーではなく、書にふさわしく懐かしい暮らしの景色の中で生徒さんの作品を楽しんでいただければ幸いです。
最後になりましたが、会場をこころよく提供してくださった一欅庵の辻さまに深くお礼申し上げます。
2013年10月4日
講師 中嶋 宏行 |